SSブログ

プロレスVsK-1の戦い 良き時代だった! [格闘技世界一決定戦]

スポンサードリンク




2000年初頭 空前の格闘技ブームが起こった。


年末(12月31日)にテレビを付けると、

 なんと K-1 Vs Pride Vs Inoki の格闘技が競っていた。



そんな良き時代

 
1998年 

 引退を控えた猪木が 新日マットで角田信明と公開スパーノリングを行った。
 
そう プロレスVsK-1はここから始まったのだ。


2001年8月

 K-1 Japan GP 決勝の舞台で 
 藤田Vsミルコ戦が実現 

 いきなり開戦のコングとなった。

vt9.png


その年、
12月31日

猪木軍VsK-1軍の7対7の戦いが実現

 K-1軍は、バンナ・ミルコ・アビディ・ベルナルド・グレコ .. そうそうたるメンバーだ。
 
 しかし
 猪木軍は、
 肝心の小川と藤田が欠けてしまい

 安田・永田・石沢・ドンフライ・グットリッジ ..  と苦しい戦いになった。

provsk173.jpg

provsk1006.jpg





ちょうどこの頃、サップが登場

K-1とプロレス界を一時的に制覇したかのように暴れまくった。


2002年
12月31日

サップと高山の死闘、藤田Vsミルコの再戦が実現するも、K-1軍の圧勝


2003年

中西がK-1のマットに上がれば、
新日マットで柴田Vs天田が実現


そして
その年、
12月31日

 真輔Vsイグナショフが実現 
 真輔はこの時点でIWGP王者として大勝負となったが、
 結局無効試合となってしまった。

provsk1223.jpg

2004年

 サップは健介を破りIWGPを獲得し新日のトップに君臨
 小川がPEIDEグランプリでステファンレコを破り
 柴田は武蔵に新日マットでKO敗け


そして
その年
5月22日

PRIDEに対抗したK-1の総合格闘技イベント 
ROMANEXで

 藤田がサップを
 真輔がイグナショフを
 ジョショバーネットがレネローゼを破り
 今度はプロレスが圧勝した



それ以降は

 K-1戦士が戦いの場をIGFへ移したことで、

 小川・藤田・鈴木秀樹、鈴川らと
 バンナ・アーツ・セフオーらの戦いが
 プロレスとして実現

 また京太郎が真輔、船木と対戦

prok11.jpg



2018年10月

猪木生前葬にて 
ノートンVsアーツ戦を最後になった。

決っして交わる事のない両格闘技の戦いは、
まさにドリームとして伝説になっていくだろう。






詳しくは、

卍対Kの戦い
格闘技世界一決定戦(プロレスVsK-1)をご覧ください。









スポンサードリンク



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。