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いま振り返る 新日本Vs誠心会館の果し合い [新日イデオロギー闘争]

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時は、
1991年1月 新日本プロレス 後楽園ホール 控室
新日に参戦していた青柳館長に門下生が所用で控室に訪れた際、
「控室のドアを閉めろ」と、小林邦昭と些細な事で口論になり
小林邦昭に誠心会館の門下生がボコボコにしてしまった。

この事態に青柳館長の弟子斎藤彰俊が激怒し、小林邦昭や越中詞朗と抗争状態に発展。
最初、青柳館長は中立の立場であったが、途中から収拾がつかなくなり、戦いに参戦した。
  
プロレス対空手 というより、新日本対誠心会館の戦いが始まった。
テレビ中継された試合は、全試合終了後にテーマ曲も流れず、
まるで果し合いのような殺伐として試合であった。
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戦いは、看板を賭けたやがて最終局面を迎えた。

1992年4月30日 新日本プロレス 両国国技館 
小林が彰俊を下し、誠心会館の看板を手にした。

1992年5月1日 新日本プロレス 千葉ポートアリーナ
看板奪回に燃える青柳だったか、越中に敗れてしまう。


1992年6月5日 誠心会館 名古屋国際会議場
看板ほ賭け、小林と青柳が対決したが、決着つかず。

試合が終わり、小林「館長、これ(看板)を受け取ってくれ」と思いをぶつけ
青柳も今回は素直に頭を下げ看板を受け取る。

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しかし、

新日本選手会と無断で試合をした小林との間に亀裂が入り、

小林に青柳、斎藤、越中、さらに健吾も加わり
反選手会同盟 やがて平成維震軍 の抗争が始まった。



詳しくは、
格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
新日イデオロギー闘争をご覧ください。



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