SSブログ

1972年~2019年 激闘の新日本 猪木・藤波から、オカダ、飯伏まで 今振り返る! [新日本プロレス]

スポンサードリンク




1972年
 猪木は、小鉄、魁、柴田、木戸、藤波らと新日本プロレスを設立した。
 そう藤波は新日本創設者の一人であり、この時の柴田は、柴田勝頼の父であった。

his4.gif

翌年 
1973年 
 坂口、健吾、カーンらが新日本に移籍して
 猪木・坂口の黄金時代が始まったのだ。

his3.gif


過激な猪木に対して、
常に脇役で冷静沈着な坂口が新日本を支えたのだ。

njpw1.jpg

1974年
 長州が、
 翌年 佐山が、
 1976年には、ジョージが
 1977年には前田が入団している。


1981年 
 佐山は初代タイガーマスクとにり空前のブームが巻き起こり
 翌年は、ジョージ高野がコブラに変身した。



1983年 
 山田が入団し、
 翌年 武藤、橋本、蝶野、船木が入団した。

 この年に、
 長州に維新軍が大量離脱し 新日クーデターが起きている。


さらに、
翌年には、第一次UWFの前田らが戦いを求めて新日本のリングに登場し、

1987年には、
全日本マットを離脱した長州らが再び戦いを新日本のリングに上がったのだ。




1988年 
 米国で武藤はムタとなり、
 翌年 山田は獣心ライガーとなった。

1990年
 金本、天山、西村が また翌年小島が入団
 さらに
 その翌年には、石澤、大谷、永田、中西、高岩が入団している。




1998年
 柴田が入団 その年に猪木が引退
 翌年は棚橋が入団、

2000年
 藤田が猪木事務所へ移籍し
 橋本が大谷、高岩を引き連れてZERO-OWNを設立している。




2002年
 真輔や後藤、田口が入団
 同じ年に武藤、小島、カシンが全日本へ移籍
 長州は越中、健介、健三らとWJを設立した。


2004年
 長州が新日に二度目の復帰
 翌年は柴田がビックマウスラウドへ移籍
 内藤はこの年に入団


2007年
 登竜門からオカダが新日本へ移籍
 同じ年に藤波が西村らと無我プロレスを設立

2009年
 ヒロムと渡辺(EVIL)、三上(デスXXX?)が入団


2012年
 田中と小松が入団

2016年
 真輔はWWEへ
 翌年は、ヨシタツが全日へ参戦、

そして
2019年 

 飯伏が正式に新日本へ入団した。



このリングにあったものは、
 希望、裏切り、共闘の道であり、
 行けばわかる 
 いや 行かなければわからない道であろう。



詳しくは、
格闘コロッセウム 
~戦いの歴史~
新日イズムをご覧ください。















スポンサードリンク



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。