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オカダVsみのる イギリスでのIWGP戦に思う! [新日本プロレス]

G1最終日

×オカダカズチカ・棚橋弘至
15分27秒  ゴッチ式バイルドライバからの体固め
〇鈴木みのる・ザックセイバージュニア

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みのるがオカダからピンフォール勝ち

当たり前のように IWGPへ挑戦表明となった。

鈴木みのる
「おいオカダよ、G1にも出させて貰えない俺に負けて、だ~ら~しねえな!ようするにこういうことだよ、...
おまそのIWGPヘビーのベルトを俺によこせ!」

しかし
その日はG1最終日なのだ!!!

熱き戦士がG1の1を目指して戦った最終日なのだ!!!

みのるがG1に出場しなかった理由はともあれ、
あっさりオカダからピンを獲り、次期IWGP戦となった事は???


もしかしたら、
G1の熱き戦いは何だったのか?

とも思うような結末だ!


もしみのるがオカダを破りIWGPを獲得したとしたら、?

さらにG1の熱き戦いの意味が薄くなってしまうような気がする。
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佐竹雅昭と青柳館長は、過去に四角リングで戦っていた! [コロッセウムの泉]

佐竹雅昭と青柳館長は、

以前リアル空手チャンピオントーナメント2回戦で激突しています。


結果は、佐竹の一本勝ちです。


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詳しくは、
格闘コロッセウム
コロッセウムの泉をご覧ください。
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新日嫌いの諏訪魔が、新日のリングに上がった事がある。 [コロッセウムの泉]

あの新日嫌いの諏訪魔も、
以前新日本のリングで試合をした事があります。


 2007年1月4日 レッスルキングダム IN 東京ドーム

 ○諏訪魔・TARU・ロージー・ジャイアントバーナード
 (岩石落とし固め、15分38秒)
 長州力・中西学・飯塚高史・山本尚史×

 山本尚史とは、今のヨシタツ!


もう少し歴史を振り返ると、
近藤修司や、“brother”YASSHI、金村キンタロー、BADBOY非道、関本大介らも
新日マットに参戦していました。

 2007年1月4日 レッスルキングダム IN 東京ドーム

 ○タイガーマスク・金本浩二・カズハヤシ・タカみちのく・井上亘
 (猛虎原爆固め、13分1秒)
 獣神サンダーライガー・稔・ミラノコレクションA.T・近藤修司・“brother”YASSHI×


 2006年1月4日 闘魂始動~CHAPTER1~ 東京ドーム

 獣神サンダーライガー・外道・×邪道  
 (10分3秒 片エビ固め) 
 ○金村キンタロー・BADBOY非道・田中将斗

 藤波辰爾・西村修・飯塚高史・矢野通・後藤洋央紀・×長尾浩志
 (原爆固め、12分16)
 ○佐藤耕平・関本大介・佐々木義人・神風・宇和野貴史・長州力

詳しくは、
格闘コロッセウム
コロッセウムの泉をご覧ください。

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ノアの社長の田上明は、最初は長州のジャパンプロレスに入団していた! [コロッセウムの泉]

をチェック

田上明は、

1987年8月にジャパンプロレスに入団、

翌年1月に全日本プロレスへ正式に移籍

さらに1月2日にジャイアント馬場とのタッグでデビュー戦を飾った。


つまり、

馳浩や佐々木健介と同門という事になります。

しかし

田上は練習生として入門したただけで、

全日移籍となりました。


また、

元WARの北原光騎もジャパンプロレスに入門しています。



1985年6月 佐々木健介
1985年8月 馳浩
1987年6月 北原光騎
1987年8月 田上明




詳しくは、
格闘コロッセウム
コロッセウムの泉をご覧ください。

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オカダが若いと思っていたら、アーセン、天心ら平成のファイターが活躍していたんですね。 [格闘家の栄光]

最近まで、オカダカズチカが一番若かったはずなのに、

全日本の野村や青柳、さらにRIZIN の山本アーセン、那須川天心ら、
平成生まれのファイターの活躍が見られます。

格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
戦う男達の世代別名鑑のページを更新しました。

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力士から格闘家へ [格闘家の栄光]

力士から格闘家へ変身した選手は多くいますが、
やっぱりピンと来るのは、力道山、天龍、輪島、曙、チェホンマあたりでしょうか?

今回、格闘力士リストを作成しましたので、ご覧ください。
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総合格闘技に挑んだプロレスラー [総合格闘技]

以前、大晦日は K-1 PRIDE Inoki の総合格闘技の番組が放映され、紅白に対抗していました。

橋本、永田、中邑、安田、杉浦も総合格闘技に参戦するほど、総合格闘技プームでした。


そんな中でも 現在生き残っている プロレスは強しという感じがします。

さて、総合格闘技分野では、現在RIZINが頑張っていますが、

残念ながら、RIZINに登場した 藤田、桜庭、堀田は敗退しています。
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船木がYouTubeで 最強のMMAプロレスラーは藤田だと 解説していましたが、
最後に藤田には何とか勝利を挙げてもらいたいと思います。

個人的には、神取Vsガルシアの実現も待ち望んでいます。


さて、
2015年から現在までの 総合格闘技に挑んだプロレスラーのページを更新しました。


詳しくは、
格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
VTに挑戦したプロレスラーのページをご覧ください。

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どうしよっかな〜〜!? [真実の口]

2013年10月 中邑真輔が丸藤の挑戦を避け、IWGPインターコンチを防衛、
するとみのるがリングイン ......

 「ゴメン・・・聞いてなかったわ。ウッソ〜〜!! どうしよっかな〜〜!?」
 て こんなマイクパフォーマンスがあったのを覚えていますか!

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詳しくは、
格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
真実の口のページをご覧ください。

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猪木さんに命、預けます。 [真実の口]

1993/04/06
新日本プロレス
両国国技館
マグニチュードX

第6試合終了後、猪木がリングに登場し、この後開催される福岡ドームに向けて
意気込みを話し終わると「もう一つお伝えすることが」と前振り

猪木

「かつて、私の弟子が育ち、
そして外に旅立っていきました。
そして一回りも二回りも大きくなって、
再び帰って来ます。
修行とは出直しの連続なり。
おーい出てこい!」

館内に「騎行」のテーマが流れ、颯爽と藤原登場

藤原
「猪木さんに命、預けます。
5月3日福岡ドーム出させていただきます」

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館内は、大声援、大盛り上がり

※この頃、藤原から船木とみのるが離れた時期であり、藤原は原点回帰だった?!

詳しくは
格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
真実の口のページをご覧ください。

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永田 対NOAH対抗戦を振り返る [対抗戦]

長州が、再び新日のど真ん中に立った時、

永田に対して、
「天下を取り損ねただけある...」  詳しくは 真実の口にて

            といいましたが、

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永田は、NOAHとの対抗戦を積極的に行い、

小橋には完敗、対秋山戦は2-1と敗け越してはいますが、
田上を下し、


既に勢い咲かんな

KENTA
杉浦
潮崎
森嶋には、
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それぞれ負けなしの戦いを挑み、グローバルリーグ戦優勝とGHCヘビーベルトを獲得しています。

NOAH次世代では、丸藤がGHCベルトを奪回しましたが、
それ以外は、誰も永田には勝てなかったのです。

充分に一時代を築いた永田の功績は大きいと思います。

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詳しくは、

格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
獅子と箱舟の戦いのページをご覧ください。
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いま振り返る 新日本Vs誠心会館の果し合い [新日イデオロギー闘争]

時は、
1991年1月 新日本プロレス 後楽園ホール 控室
新日に参戦していた青柳館長に門下生が所用で控室に訪れた際、
「控室のドアを閉めろ」と、小林邦昭と些細な事で口論になり
小林邦昭に誠心会館の門下生がボコボコにしてしまった。

この事態に青柳館長の弟子斎藤彰俊が激怒し、小林邦昭や越中詞朗と抗争状態に発展。
最初、青柳館長は中立の立場であったが、途中から収拾がつかなくなり、戦いに参戦した。
  
プロレス対空手 というより、新日本対誠心会館の戦いが始まった。
テレビ中継された試合は、全試合終了後にテーマ曲も流れず、
まるで果し合いのような殺伐として試合であった。
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戦いは、看板を賭けたやがて最終局面を迎えた。

1992年4月30日 新日本プロレス 両国国技館 
小林が彰俊を下し、誠心会館の看板を手にした。

1992年5月1日 新日本プロレス 千葉ポートアリーナ
看板奪回に燃える青柳だったか、越中に敗れてしまう。


1992年6月5日 誠心会館 名古屋国際会議場
看板ほ賭け、小林と青柳が対決したが、決着つかず。

試合が終わり、小林「館長、これ(看板)を受け取ってくれ」と思いをぶつけ
青柳も今回は素直に頭を下げ看板を受け取る。

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しかし、

新日本選手会と無断で試合をした小林との間に亀裂が入り、

小林に青柳、斎藤、越中、さらに健吾も加わり
反選手会同盟 やがて平成維震軍 の抗争が始まった。



詳しくは、
格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
新日イデオロギー闘争をご覧ください。

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3人束になってかかっこい 猪木VsR木村 [新日イデオロギー闘争]

1981年9月23日

田園コロシアムにおいて、今もなお伝説として残るド迫力プロレス アンドレVsハンセンが行われた。

そのメインイベント、猪木の前にラッシャー木村が登場したのだ。

国際プロレスの崩壊により、木村・浜口・寺西は新日本プロレスとの戦いを選んだのだ。

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これまで猪木は、

大木金太郎やストロング小林の挑戦を受け、
「誰の挑戦でも受ける」の姿勢を貫いていたが、


これまでは木村に対しては、

「木村よ、己を知れ。お前はオレの挑戦者としてふさわしくない」と格下扱いだっただけに、
木村もプロレスラー最後の舞台となったのだ。


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........


続きは、
格闘コロッセウム
~戦いの歴史~
新日イデオロギー闘争のページをご覧ください。

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橋本と小川の戦いの歴史 [新日イデオロギー闘争]

橋本Vs小川の戦いの歴史を追加しています。
この戦いは、大変奥深くどこまでの真実を記載するべきか困りました。
87年に全日本から戻った長州軍が橋本をリンチした事件から尾を引いているかもしれません。

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詳しくは
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新日VsUインター全面戦争 ドームでUは消してやる! [新日イデオロギー闘争]

1995年8月24日

山崎一夫の新日移籍をめぐるトラブルを経て、長州と高田の電話会談で全面対抗戦が電撃決定

これにより、10.9 新日VsUインター全面戦争が勃発しました。

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対抗戦が決まった時点で、宮戸は引退、田村はリングスへ



対抗戦は約一年間続き

シングルでは、

長州Vs安生、武藤Vs高田、橋本Vs高田、橋本Vs中野、健介Vs安生、蝶野Vs安生が

タッグでも

長州高田 藤波高田 健介高田 などが実験しました。

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新日では、若き日の永田が奮闘、石沢が実力をみせ
Uインターでは、垣原がガッツを見せた試合が多数実現しました。


この頃のUインターは、Uスタイルを貫きながらも、プロレスよりの戦いを行っていましたが、
武藤・ライガーVs高田・佐野戦では、本来のプロレスのチームプレーが高田の認識になく、
なんとも歯がゆい試合になりました。


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世紀の決戦 猪木Vsアリ戦 [格闘技世界一決定戦]

1976年 世紀の決戦 猪木Vsアリ戦が実現しました。

猪木は、プロレスこそ最強の格闘技である事を証明する為に異種格闘技戦を行い、
続けとばかり、前田、高田、船木、橋本らが競って ボクサー 空手家 柔道家と戦いました。


実現はしませんでしたが、スティーブンセガールやジャッキーチェーン、アミン大統領まで
異種格闘技戦に浮上しました。


最近では、元ボクシング世界ヘビー級王者のジョージ・フォアマンが、
自身のツイッターで「スティーブン・セガール、俺はあんたに挑戦する」とツイートするなど....

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アリは、猪木と戦う前に既にプロレスラーと戦っていた [格闘技世界一決定戦]

世紀の一戦 の前に、アリは既にプロレスラーと対戦していた。

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1976年6月1日
フィラデルフィア

WWWFのTVマッチに乱入し、試合を終えたゴリラ・モンスーンに挑みかかる
モンスーンはアリのジャブを払い、アリを担ぎ上げてエアプレンスピンでKO



1976年6月10日
イリノイ州

対猪木戦に向けてアリは、AWAのプロレスラーバディ・ウォルフを
プロモーション用の対戦相手に起用して、
16オンスのグローブを着けラウンド制のミックスド・マッチを行う。

アリのセコンドにはフレッド・ブラッシー、
ウォルフのセコンドにはディック・ザ・ブルーザー
レフェリーはバーン・ガニア

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詳しくは、
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